私の心情(130)―地方都市移住43-自由が好きだから(岡山)

いくつもの仕事を転々と

68歳のTさんは、神戸で生まれて、子どものころ岡山に引っ越しました。神戸や東京へのあこがれが強く、大学受験には失敗したものの、神戸の予備校に通います。そこでのアルバイトの経験は大学に行く意味を問いかけ、予備校に行く意味を失いました。しばらくアルバイト三昧の生活を続け、その後一旦岡山に帰って家業の運送業を手伝うことにしました。それでも都会への憧れが強く、知人の伝手で東京の染色作家に弟子入り。「5年ほどやったが自分の限界を感じて」辞めることに。そのころ、“無限連鎖講”的なものに騙され大損したとのこと。

世間を知らなさすぎると思ったことから、「営業の仕事で勉強しよう」と決めて転職します。ホテルの営業では支配人候補といわれるまでになり、化粧品の営業ではトップセールスマンになるなど実績は挙げるのですが、どれも満足いかなくなり辞めることに。岡山に帰って外食でアルバイトを始めても正社員にと請われ、結局、ここも辞めました。

1982年、既に28歳になっていましたが、ここで転職した全国チェーンの小売りの会社の水があったのか、65歳まで勤めることになります。岡山で8年務めた後、新規事業開発を担当し、フランスに赴任。あまり干渉しない生活パターンが自分にぴったりで、永住しようと決めるほどだったとか。ただ、帰国の指示が再三あって、わずか3年で日本に戻り、藤沢、横浜を拠点に全国の販売拠点をめぐる営業の日々に。「忙しかったけど、旅行をしているように思えて全国を回るのは楽しかった」とのこと。

半額になった藤沢のマンションの売却で岡山に移住

60歳で定年を迎え、65歳まで嘱託社員として働き、2019年2月に退社。それに合わせて岡山に移住してきました。Uターンに近いようですが、ふるさとに帰るというなら神戸でしょうから、「以前に住んだことのある街」への移住というのが近いかもしれません。

岡山のマンションの購入には藤沢のマンションの売却額を充てました。生活用に購入した藤沢のマンションは、1994年に、バブル経済のピーク時点から価格が下落していたので、「もう大丈夫だろう」と思って買ったとのこと。片瀬海岸で70㎡のマンションが4850万円。しかし残念ながらその後も価格は下落し、岡山に引っ越すために売却したときには2650万円だったとのこと。この間、価格は半額くらいまで下落したわけですが、岡山ではその売却額で藤沢のマンションより少し大きなマンションを購入することができたので、悪い話ではなかったはずです。ちなみに、岡山市のマンションの価格は、80㎡強で2390万円でした。

なぜ移住先を岡山にしたのか

なぜ退職して岡山に移住したのでしょうか。「自由な生活のために」という点が根本にあるようで、それは独身を続けている「束縛されるのが嫌いで、自由な生活がしたい」という理由と同じです。東京や大阪ではこれまでの知人や後輩といったしがらみがあるので、見栄を張らざるを得ないと感じ、天災の少ないそして田舎でも、大都会でもない“程度”の政令指定都市を選んだとのこと。

自由な生活には「お金が必要なんです」。退職すると「収入は3分の1とか4分の1とかに減ります」から、東京や横浜でのそれまでの生活は維持できません。「物価が少しでも安いこと」も大切な要件です。

何とかギリギリで退職後の生活を続けていけそう

岡山ではウォーキングにもよく出かけますし、買い物にも行きます。またフラワーアレンジメントを習いにも出かけています。それでも、パソコンの前で過ごすのが一番長いとのこと。「TVは見ないし、そもそも引っ越すときに買いもしなかった」ので、すべての情報をネットで得ています。YouTubeやYahooニュースが生活の中心です。もちろん、将来は「もう少し世間が広くなるとうれしいけど・・・・」と、ちょっと気にも掛けていますが。

「先日、確定申告をしましたが収入は300万円を超えていました」。手取りでみると、厚生年金で年間160万円、企業年金で年間30万円、そして個人年金とその他の収入で年間70万円の収入があり、これにスーパーでのアルバイト収入44万円もある。それでも現在ちょっとずつ預金が減っているので、「生活費は少し足が出ているのだろうか」と気にしています。1月、2月と東京、横浜に遊びに行ってきたが、もうそれほど行きたいわけではないため、「今年はこれで旅行は打ち止めにする」つもり。その分、支出は減るだろう。

資産運用は上手くいかなかった

個人年金は有期の契約で73歳まで受け取れる。その後、収入が減るときには、資産の取り崩しで対応できるので「持っている資産で寿命は何とかカバーできるのではないか」と考えています。

預金と株、それに1000万円を投じた一時払いの外貨建て保険も加えると、金融資産は2000万円弱。保険は必要になれば解約しても良いと思っているので、これが大きな安心だといいます。

これまで無限連鎖講に始まって、株式投資でも投資対象が倒産して大損したり、さらに商品先物取引では消費者センターに相談するような事態になり、「そうしたことがなければ今や資産は億円単位になっていたはず」とTさんは振り返ります。

取材を終えて

私自身を振り返っても、長い人生のなかではお金に絡んで紆余曲折、波乱万丈があることは理解できます。そのうえで、Tさんは退職後に住む家があり、資産があり、年金も受け取れるというわけですから、Tさん自身曰く「よくここまでこれた」と一定の満足感を得られるでしょう。

それでもなお、少し気になるのが資産寿命です。2月に実施した「60代6000人の声」アンケートでは、約半数の方が保有する資産で寿命を「何とかギリギリカバーできる」と回答しています。Tさんも、そう回答された1人です。ローン無しで自宅を保有している点や、生活コストを引き下げるために移住をしている点など、できる対策は取っています。しかし、公的年金が少ない点が気にかかるポイントです。「ぶらぶらしていた28歳までの間、保険料を払っていなかったのが失敗だった」と反省されている通りだと思います。また、金融資産2000万円のうち半分を外貨建て保険で運用していることなど、不安定な要素も残ります。

「本当にギリギリの水準」なのかもしれません。