私の心情(134)―地方都市移住45-70歳まで働こうかな(岐阜)

転勤族だったが、ベースは岐阜に

岐阜市にお住いのTさん、65歳。大学を卒業して就職した名古屋の会社は、もともと繊維業界の老舗でしたが、どんどん業容を拡大させました。79年に入社したTさんは、商社事業部門に所属し、82年から86年までニューヨークに、89年から97年まで香港に、と長い海外勤務の経験があります。その後も、東京、大阪、名古屋、横浜、名古屋と転勤を続けて、家族で赴任したこともあれば、単身赴任で生活したことも、また岐阜の自宅から通勤することもありました。まさに、典型的な“企業戦士”でしょうか。

今住んでいる岐阜の自宅は、親と共同で保有する敷地に1995年に建てたもので、97年から奥様が生活の拠点にされている、いわばTさんのホームベースです。60歳の定年を迎えた2016年にTさんも生活の拠点を岐阜の自宅に移しました。

その後、65歳までの5年間は再雇用で務め、65歳となった2021年9月に完全退社となりました。

やはり仕事をしたい

昨年9月からは特に仕事はなく、奥様と散歩、買い物に出かけ、空いた時間ではずっと続けているドラムの練習と、たまに副業サイトでアンケートへの回答をしたり、社会実験への参加などをしながら小遣いを得ていました。

それでももう少し働きたいと、ハローワークで「お給料はそれほど必要ない」けど、「地元の役に立つ仕事がしたい」と職を探しました。偶然にも厚労省の外郭団体での職が見つかり、4月から月15日だけ働くことになったとのこと。事務所は、自宅から歩いて20分くらいのところにあるので、9時-5時の仕事とはいえ、のんびりやれそうだし、「有給まである」とのことで喜んでいました。

ともかく、当面は「父が他界した69歳を超えて70歳まで働きたい」というのが目標のようです。

退職後の生活は「何とかなりそう」

「今の生活費は月に25-30万円くらいだと思う」と、いささかはっきりしないところがありましたが、それでも生活に心配はしていない様子。

その理由は、年金などの収入のめどが立っているからです。「公的年金はご夫婦合わせて月30万円」になるとのこと。それと「66歳だったか、67歳からだったか、米国の年金も少し受け取れるはず」、さらに少しだけだが4月から働いて得られる収入もあるので、「年金が減らされる上限(47万円)まではいかない」けれど、「生活に不安はなく満足している」とのこと。

さらに退職金は60歳の時に2000万円以上受け取ったが、その7割を終身保険として万一の時、奥様の生活資金にする準備もしています。また、横浜での勤務時代に購入したマンションも1年もしないで転勤となったことから数年で売却したが、その売却益も預金にして残してある。

運用はずいぶん前にトヨタや東電株を少し買ったが、「震災の結果、東電株がめちゃめちゃ」でそれ以来、「株は懲りた」とのこと。

取材を終えて

「60代6000人の声」アンケートでは、「保有する資産で寿命をカバーできるか」を聞いた設問で、半数の方が「ギリギリ何とかなる」と回答されていました。Tさんも、そう回答されたおひとりだったのですが、伺ってみると「何とかなる」というのは納得できるものでした。条件は、自宅がある(ローンがない)、厚生年金で生活できる程度の支出水準、といったことのようです。

「現役時代、浮沈はあったが、何とかここまで来ることができて今は満足しています」という言葉は、“まさしく!”と思えるものでした。でもきっと岐阜市といった生活費の安いところが、その力を与えてくれているようにも思います。地方都市移住の大切なポイントだと改めて思いました。