私の心情(22)-地方都市移住ー60代の人材を活用できるか

自衛隊、大手通信機器メーカーそして介護士

さて、集合住宅の建設現場を後にして、今回、インタビューを受けていただけるNさんの勤務先にお邪魔しました。勤務先は、地元の介護老人保健施設。介護士として働くNさんは、ちょうど夜勤の仕事を終えられたところでした。

大手電機通信メーカーを退社され、2019年1月にそれまで住んでいた千葉県船橋市のマンションを引き払って、神山町に移住された63歳の男性。もともと自衛隊で56歳まで通信関係の仕事をされてきたNさんは、その経験を買われて通信機器メーカーに転職。6年間にわたってアドバイザーの立場で民間企業に勤めた後、雇用契約終了で1年前に地元に戻ってきました。「大手通信機器メーカーに勤務の頃から退職したら神山町に帰ることは決めていた」Nさんは、徳島市内の生まれで、奥様は神山町の方なので、「正式には妻の実家に帰るということかな」とのこと。

そして今は介護老人保健施設の介護士。「自衛隊から大手通信機器メーカーまで培った先端技術に関する知見はきっと生かせたはずなのに」という私の思いから、少々失礼ながら、やはり最初に伺ったのは「なぜ介護士なんですか」。もちろん「ハローワークにも通ったし、神山町に最近どんどん進出しているIT関係の仕事にも応募してみた」けど、「もうITでバリバリやるほどではない。インターネット関連の仕事はもういいかなと思えてきた」と正直な気持ちを吐露された。でも、「65歳くらいまでは働きたいし、生活するためにはある程度の稼ぎも必要」だから、「最後は地元のためになる仕事したい」と気持ちを切り替えたとこと。

還暦過ぎてやっと大人

ただ、「神山町に移住してもなかなか役に立たない」と感じたそうだ。「還暦過ぎてやっと大人扱いだ」と。この言葉、私も強く同意できます。私も岐阜の実家に帰ると同じ思いを持ちます。地元に残っている友人たちは、自治会の役員や年中行事への参加などそのコミュニティの活動にずっと携わってきました。そして今も「町の若い衆」と呼ばれている中心世代は私より先輩たち。高齢化率52%の神山町でも60歳前半はまだまだヒヨッコということなのかもしれない。

最終的にNさんが選んだのが、高齢化の進んでいる地元の介護老人保健施設の介護士。63歳で介護士としての夜勤は大変ではないかと聞いてみたが、「自衛隊の頃、夜勤は普通だから」とあまり苦にされていない様子。

最近、楽しかったのは、東京時代の仲間の方々が自宅に遊びに来てくれたこと。船橋でも、奥様は近くに土地を借りて仲間と一緒に畑仕事していたとのことで、その仲間が遊びに来てくれたそうだ。「多くの仲間が遊びに来てくれるところにしたい」と夢を語っていらっしゃった。2人のお子さんは東京で生活を続けているので、東京に足場はあるはずだが、介護士の仕事に慣れるまでは、なかなか東京に遊びに行くことができなかったらしく、「落ち着いたら、年に1回くらいは東京に行きたい」との気持ちも吐露されていた。

本当に、“割り切らなければならない”、のか?

最後にNさんに後輩へのアドバイスを聞いた。「割り切れるかどうか」。自衛隊と通信機器メーカーで一緒に働いた友人は香川の出身だが、地元には戻らないと決めたとのこと。退職後の生活を決めるためには「割り切り」が大切だということだろうか。船橋ではなく徳島県神山町、通信機器メーカー勤務から介護士、その生活の大きな変化を知ると、「割り切る」という言葉の持つ、Nさん自身の少し違った意味も感じられる。

ところで今回の取材で、「日本中で高齢化率が40%に近づこうとするなか、“町おこし”は若者を呼び寄せることでいいのか」という素朴な疑問を改めて感じました。「還暦過ぎて大人」であれば、その大人をうまく使う新興企業がもっと増えてもいいはず、いや増えなければならないように感じました。「ここに住む若者たちも自分たちの老後をどう過ごすか真剣に考えなければならないかもしれませんね」という田中さんの言葉は、重要な気がします。