私の心情(284)―取り崩しインタビューTさん:心豊かに

2025年の「60代6000人の声」に回答いただいた方々の中から、資産の取り崩しに関するインタビューを行っています。出来上がった資産をどう60代の生活に生かすか、それは取り崩しであり、運用継続であり、楽しい生活であり、将来の心配でもあります。今回より、複数回にわたって、インタビューにお答えいただいた方々の生の声を、具体的かつ詳細にお伝えしていこうと思います。それぞれは個人の経験ではありますが、その中から皆さんの実践に少しでもお役に立つことがあれば幸いです。

3000万円を作り上げてFIRE

最初に登場していただくのは、都内にお住いの61歳の男性Tさんです。5月中旬に、1時間半ほどのインタビューをさせていただきましたが、なかなか波乱万丈な取り崩し人生です。

61歳ですでに波乱万丈の取り崩しを経験しているのですが、それは48歳でセミリタイアしたことからスタートします。Tさんは未婚で、ご両親と一緒に生活していましたが、3年ほど前にお父様を亡くされ、今はお母さまと2人、実家で生活しています。

新卒で住宅販売の大手に入社され、そこから5年ほどかけて資産を1000万円くらい作り上げたとのこと。私にはかなりのハイスピードで資産形成できたと感じるのですが、Tさんは「なかなか貯まらないものだと感じた」とのことでした。次の5年間は、「そこからは比較的早いペースだった」との感想を持つほどにペースを上げて、一気に2000万円くらいの資産を加えました。結果、その時点で3000万円ほどの金融資産を手にしています。

節約で3000万円の資産を

ちなみにその資産形成の手法は節約です。預金からの引き出しは月に数回9000円ずつに限定。1万円札を持つとすぐに使ってしまうため、あえて1000円札を9枚下ろすことで、消費の抑制を心掛けるというわけです。住宅販売の大手の一角でしたから給与はそれなりの水準だったにもかかわらず、使うことを抑制することに徹していたようです。もちろん、友人との飲み会や羽目を外すこともあったようですが、それでも普段の生活に1万円札を持たないという主義は意外に成功を収めたわけです。

30代前半で金融資産が3000万円くらいになり、「まとまった資金ができたので無理に働くことはない」と考えて、35歳の時に大手住宅販売会社を退職。ご本人曰く、「セミリタイアを実行です」。

Tさんにとって、セミリタイアとは、まったく働かないのではなく、「給料は生活をカバーできる程度で十分」というスタンスで働くということです。コンビニでのアルバイトをはじめ、それがドラッグストア、高級スーパーなどへと変わりながら、結局10年以上そうした生活を続けます。48歳になったとき、その仕事もすっぱり辞め、行きたくてうずうずしていたスイス旅行に向かいます。

資産収入で海外旅行三昧

そのころには保有していた3000万円の資産のうち2000万円を毎月分配型投資信託 (N証券で3‐4本の投信) で運用し、月々の分配金は30万円程度を受け取る生活ができるようになっています。当時の投資環境ではまだ基準価額もそれほど低下していなかったことから、この資金を使って海外旅行を楽しむ生活にシフトします。

仕事を辞めてすぐに行ったスイスのほかに、ツアーに一人で参加して、オーロラを観たくて北欧に、日食を追いかけて米国やチリに、マリナーズの応援にシアトルに、と海外旅行三昧の生活を送ります。シアトルマリナーズの試合観戦には都合18回も行ったとのこと。毎年5-7回の海外旅行を10年ほど続けていましたから、「保有していた資産のうち2000万円くらいは使ったと思う」とのこと。これだけ楽しむと資産が減るのは避けられませんから、50代の後半のころには預金が600―800万円程度残っているだけだったようです。

金融詐欺にも遭う

そこに追い打ちをかけたのが金融詐欺被害でした。ある日、Lineで「ボートレースで1800万円の配当があります!その配当を受け取るためには手数料20%が必要です。至急支払ってください」と連絡があり、それを真に受けて複数の個人口座に数十万円ずつ振り込んでしまいました。「今思えば、個人口座というところにすでに怪しさがあるのですが、結局、合計で350万円ほどを失ってしまいました」。

その結果、預金残高も100万円を切るところまで来てしまって、国民年金保険料の支払いにも窮しそうな状態だったようです。個人年金の受け取りで急場を凌ぐような実状だったとのこと。

ただ生活が困窮しているのかというと、母親の資産があることからそれほどでもなかった様子です。「贅沢はできないものの、生活に困ることはなかった」のが当時を振り返っての感想です。

遺産が支えに

2022年の新型コロナ禍のなかお父様が亡くなられました。その遺産で保有する資産は再び3000万円規模に戻ります。お父様のご資産は、お母様が半分、Tさんと弟さんで4分の1ずつ相続したのですが、Tさんは主に株式を相続されました。川崎重工業、奥村組、旭化成、日本通運、マツダ、三菱重工など。

そもそも祖父(母方の父)がまとまった資産を残してくれていて、母親に相続した資産を次に自分が受け取るときにも相続税で苦労をしないように手当ができる程度をTさんにも残してくれているとのことです。

現在の生活に不自由は感じない

現状、母親と二人で生活費は税金なども含めて年間540万円ほどかかっているとのこと。アルバイト生活を続けていることから、勤労収入は年間で150万円程度。それに母親の年金が遺族年金と合わせて年間250万円あり、資産収入は株式の配当金が年間50万円程度と預金の取り崩し90万円の資産収入の合計140万円です。3つの収入の等式にまとめると、

退職後生活費540万円=勤労収入150万円+年金収入250万円+資産収入140万円

といった内訳となります。

今は以前ほど海外旅行で支出をすることはなくなりましたが、生活自体には不自由は感じていないとのこと。親の実家とはいえ、持ち家である点は強みです。都内に住んでいても家賃支出がないことは、安心感につながっているでしょうし、この先、それほど多くはないとしても自分の年金も65歳から受け取れることの安心感も大きいはずです。

資産運用と取り崩し

現在、相続した株式を中心に1400万円程度の株式資産があるほか、預金のなかからNISAを使って投資信託での運用も行っています。株式1400万円は、「昨年の令和のブラックマンデーで急落したときには1290万円くらいまで減っていたが、親から相続した資産だと思うとそれほど慌てることはなかった」として、狼狽売りをすることはなかったようです。

ただ、NISAの分は、昨年投資した分は儲かったので売ってしまっています。今年は、「つみたてNISAでオルカンを毎月5万円投資しているほか、これまでに240万円ほど投資をしている」とのこと。しかも、「これまでは売り買いが多かったが、最近はよく見ているYouTuberの意見を聞いて、持ち続ける投資に変えていくつもり」と大きく投資方針を変更しています。「NISAは上限の1800万円まで積み上げていこうと思っていて、預金は500万円くらいあればいいんじゃないか」とみています。

個別株での投資のキャリアは20年くらいあって、遺産として受け取った株式の他に、最近は武田薬品工業などの配当株を買い入れ、配当重視の投資を行っています。

今後の生活

これからの人生では、100歳までの残り40年間を考えると、「この後20年くらい、80歳くらいまでは海外旅行を楽しんで、そのあとは読書でもして過ごしたい」と夢を語ってくれました。現状では以前のように毎月海外旅行に行くというのは難しいものの、アジアへ年1回くらい30万円をめどに楽しむことはできるはず。「最近、ベトナムとシンガポールに行ってきたほか、あと2回はベトナムに行きたい。さらにタイ、インド、スリランカ、マレーシアなど行ってみたい先はまだまだある」、「飛行機旅行の楽しさは、ラウンジの高級感と優雅な時間、離着陸時の重力がかかる感じなど夢の時間を満喫できるとのこと」など、旅行の話は尽きることがない。「だから帰ってきて自宅の前の小さな道まで来ると現実感が沸いて切なくなる」というのは、旅行好きのあるあるなのでしょうか。

現在、外資系金融機関に勤めている女性とお付き合いをしていて、今後、一緒に海外旅行に行くことも楽しみにしている様子。「彼女の年末の有給休暇消化で、ちょっと長めの旅行に行けるといいな」と期待を持っているようです。

旅行好きということもあって「英語とフランス語の勉強は続けている。NHKラジオ放送は2000年から聞き続けていて、そのおかげで海外旅行程度の英語なら何とかなる」とのこと。まだまだ夢は当分途切れそうにありません。「資産は残さず使ってもいいかなと思っていて、資産が減っていくことにそれほど心配はしていない」という。

インタビューを終えて

われわれが老後の資産の取り崩し計画などを立てるときには、保有資産3000万円を想定することが多いものです。ただ、スタートの年齢は65歳で、引出額は年間120万円くらいにとどめているのですが、Tさんの場合には、3000万円の資産とはいえ、48歳から資産取り崩し生活に入り、その間の引出額は年間200万円を優に超えていたはずです。正直なところあまりうまくいかなかったFIRE(Financial Independence, Retirement Early)のような結果だったのではないかと思います。

それを救ったのが相続ですが、こればかりはあてにすることはできません。そのタイミングを計ることもできません。ある意味で、Tさんはラッキーだったといっていいように思います。

それでもあえてこのコラムのタイトルに「心豊かに」とつけたのは、Tさんご自身が「一期一会を大切にされ、海外旅行での経験を生きる糧にされている」ことを感じたからです。Tさんは読んだことはないとのことでしたが、ちょっと小ぶりなDIE WITH ZEROの生活を感じたからでもあります。

果たして、「高齢者よ、もっとお金を使おうよ」と呼び掛けている私はどこまでできるだろうか。