私の心情(181)―地方都市移住50-これから人とのかかわりを増やしたい(福岡)

父も転勤族だったんです

「定年後に福岡に移住したのはお墓があったからかな」と話すのは、3月に68歳を迎えたKさんです。

「父も転勤族だったんです」と。北九州で生まれたKさんですが、生後3か月で東京に移り、吉祥寺から渋谷に、さらに小学校の時には新潟に転居、高校になると再び東京に。大学時代にご両親は福岡に転勤となり、福岡が”実家“となったことから、帰省といえば福岡に帰ることだったようです。ご自身は大学を卒業後に物流会社に就職しましたが、初任地は小倉。3年間の勤務の後、埼玉県に転勤し、そこで9年間生活するなかで結婚。その後も宇都宮、大阪、名古屋、北京、そして東京と転勤を繰り返してきました。

大阪で家を買っていたかもしれない

1999年に大阪に転勤になったときに、何となく見つけたチラシから堺市の2階建ての物件が気に入ってそこに住むことを考えたようです。「今でも価格を覚えていますが、2850万円でした」というその物件を見に行く予定まで立てていたくらい気に入っていたようです。しかし急に名古屋への転勤の話が持ち上がり、そうなるとかなり長くなるかもしれないと分かったことで断念されたそうです。結局、名古屋へは単身赴任で行くことになり、その後の中国・北京での勤務も含めて4年弱は単身赴任が続くことになります。「家を買うと転勤する」というのはサラリーマンの“あるある”ですが、Kさんの場合には転勤の話が先にあったことで、家を買わないで済んだようです。

福岡の実家を7000万円で建て替え

サラリーマンの最後は東京の葛西にある借り上げ社宅での生活だったのですが、2022年6月には65歳で子会社の役員としての退職を迎え、そこから退去する必要がありました。そうしたスケジュールも視野にあったことから、2019年から今の福岡の家を建て直す計画を進めていたとのことでした。

今の家はもともとご両親が住んでいたのですが、2002年にお父様が、2012年にお母さまが亡くなってからは空き家になっていました。当初はリフォームを考えていたとのことでしたが、道路から玄関まで階段を上らなければならない造りが課題で、建て直すことにされたようです。当時、リフォームだけでも2000万円くらいはかかるといわれたようですが、建て直すとなると地盤の改良なども含めて総額7000万円にも上る費用が掛かることになりました。

相続資金と長い借り上げ社宅時代の蓄積で資金調達

退職に伴って、66㎡だった葛西の借り上げ社宅から195㎡の福岡の庭付きの自宅に生活拠点を移すことができただけでも羨ましい感じがしますが、その建て直し費用が「幸いにも祖母の実家から相続した北九州の土地が6200万円で売却でき、それに妻の実家からの援助」もあって、ローン無しで調達できたとのことは驚きです。これはちょっと羨ましすぎます。

ただ、いろいろうかがってみると、もちろん相続した土地があったということは大きな点ですが、それ以外にもサラリーマン生活では借り上げ社宅での生活を続いたことから住居費が嵩まなかったこと、堺市での住宅購入を見送ることができたことなどもあるように思います。

移住して外出しなくなった

ところで福岡への移住の話を具体化させたのが2019年のコロナ禍前で、建て直しが完了して実際に移住したのは2020年9月でした。退職後の福岡での生活はコロナ禍とともに始まったような形になりましたから、家から出ない生活が続きました。また、65歳の退職以降は仕事をしないと決めていたので、その面でも特に外出することはなくなりました。

趣味は競馬とのことでしたが、「中央競馬は週末だけ」なので普段の活動の中心にはなりません。また現役時代の仲間といえば会社の同僚ばかりで、退職後もそうした仲間を当てにしていたようですが、コロナ禍がそれを阻んでしまいました。

コロナ禍からやっと抜け出しつつある

昨年あたりから徐々に、自身が幹事役となって会社の仲間を誘って小倉の競馬場に行ったり、平戸でゴルフをしたりと再会をスタートさせているとのことですが、本格稼働の状態ではありません。奥様とも、夫婦で月1回は博多の天神に食事に行ったり、九州のバスツアーを楽しんだり、といったことも始めていますが、まだまだ家のなかにいることが多いと感じているようです。

毎日どんな生活をしているのかを伺うと、「単身赴任の頃には自炊がほとんどだったことから、今でも朝とお昼の食事は自分が担当して、そのほかにはインターネットを2時間くらい楽しんでいるくらい」とのこと。そう話しながら、ご本人も「本当に家の中にいますね。もう少し人と関わりたいと思うんですけど」と気にかけている様子でした。

具体的な計画として、「大学時代、東京にある福岡出身者向けの寮に暮らしていた」とのことで、その時代の仲間は、今、九州に住んでいる人も多く、「これからはその時代の仲間との交流も増やしたい」とのことでした。

インタビューを終えて

「なぜ福岡だったんだろう?」というのがインタビューを始める際に思った素直な感想でした。さらにインタビューのなかでも「これだけの資金があれば退職後の生活資金のことを考えても移住をする必要はなさそうなのに」とも思いました。

「東京でもマンションを買うという選択肢もあったのではありませんか」と聞いてみたとき、Kさんの答えが最初の「お墓があったから」でした。さらに「それにこの庭も残したかったから」とのこと。

この言葉だけを聞くと、実家にUターン移住するのと同じ感覚を受けるのですが、実際には福岡で生活するは初めてですから、Kさんにとってはそれを決心するのは簡単ではなかっただろうと思います。しかし、転勤を続けてきたことが、初めての街でも生活することに億劫にならない心持ちを作り上げてきたのかもしれません。インタビューのなかで「結婚した当初に最後は福岡に住もう」と奥様に話していたことも聞かせていただきましたが、もう1つ感じたのは、奥様はテニスが好きで転勤先では常にテニスクラブの仲間を作ってきたとのこと。福岡に移住してからも毎週テニスを楽しんでいることも含めて、現役時代の転勤を続けたという経験が、福岡への移住でも力になっているのかもしれません。