私の心情(182)―地方都市移住51-実利と趣味のせめぎ合い(静岡)

7年前、定年後も仕事を続けるために移住

インタビューをさせていただいた66歳Sさんは、奥様ともども教師をしています。59歳まで東京都内で国公立の高校の教師として働き、定年を間近に迎えて新天地を見つけました。60歳を迎える春に知人の紹介で、静岡の大学で准教授の仕事を得て、静岡に移住。「昔から、人がいっぱいいる東京を離れて地方都市に住みたいと思っていた」ことを具現化し、「直接生徒に教える立場」から「教える人を育てる立場」へと変わったものの教師の仕事を続けています。

地方都市移住の課題の1つは移住先での職探しだといわれていますが、Sさんの場合、仕事を続けるための移住ですから、この点は心配ないところです。しかも、65歳で准教授を退任となった後も非常勤講師として教員を続け、さらに他の大学と私立中学の非常勤講師も合わせて、現在3つの教育者の肩書を掛け持ちしています。非常勤のポジションは70歳までは続けられそうとのことですから、まだまだ現役です。ただその身分が不安定なことには心配が残るようです。

東京に自宅、静岡は賃貸の二重生活

実は、奥様は同年齢で今も東京で非常勤で教師をしながら、練馬の自宅に住んでいます。言ってみれば、Sさんは「定年後に単身赴任している」状態です。Sさんの現在の静岡のお住まいは、築35年以上の木造2階建てで6畳の部屋が2つと9畳の部屋が1つ、それに10畳のキッチンで家賃は月8万円。東京の半分以下の家賃ですが、夫婦で二重生活ですから、日々の支出は多くなるはずです。

Sさんの生活費は光熱費や食費がかかって毎月25万円くらいで、家賃と合わせると年間400万円を超える水準になるようです。3つの掛け持ち非常勤講師の給料を合わせた300万円弱でも、貯蓄を少しずつ取り崩す生活は避けられません。ただ「70歳になれば繰り下げ受給を選んでいる年金の収入が月35₋36万円になるはず」とのことで、1500-1600万円の資産で70歳まで生活できれば「その先も何とかなるのではないか」と考えています。一方で、奥様の支出は「口座が別なので分からない」ので、この先どうなるかについてはちょっと心配とのこと。

70歳になれば東京に戻るのか?

ところで奥様が住んでいらっしゃる練馬のご自宅は、1978年にSさんのお父様が建てられたもので、一昨年建て替えたばかりの木造2階建てです。今は奥様とお嬢様が2人で暮らしていらっしゃいます。自宅を売却して奥様と一緒に静岡に移り住んでも良かったのではないかと思って聞いてみると、そもそも「妻は田舎暮らしが嫌」とのこと。静岡が田舎なのかと思うのですが、「美術館もないし、コンサートや演劇もないし、歳を取ってからわざわざ知らないところに住みたくない」と理由を挙げられているようです。

経済的な面からみると、70歳になって静岡での非常勤講師の仕事を辞められるときには、また練馬の自宅に戻ることが自然の流れのように思いました。だからこそ、「定年後の単身赴任」といった表現が上手く当てはまるようにも感じます。

退職時の手元資金

これまでの投資のことについても少し伺いました。投資としてやっていたのは、1990年代の初頭にワンルームマンションを賃貸用に2つ購入されたこと。ただ、「大損だった」ようで、7₋8年前に1つを購入額の4割くらいで、また今年2月にもうひとつを7分の1の値段で売却することになりました。ただ「大損だった」ととはいえ、30年以上前の投資でもあり今さら悔やんでも仕方がないというところでしょうか。

教師としての退職金は2000万円弱とのこと。奥様も同様に受け取っていらっしゃるので、2人で4000万円近くの現金が入った計算です。ただ、Sさん曰く、「40年前に公務員を退職した父親の退職金のほぼ6割と、かなり少ない」と感じたとのこと。また奥様の退職金に関しては、「夫婦で口座は別々に管理しているので、妻の貯蓄口座がどのようになっているのかについては不明」でもあるようです。

多彩な趣味を生かせる場所

Sさんの今の趣味は多彩です。ボーイスカウトで10歳から始めたキャンプは今でも時々一人で楽しんでいるようで、「清水区の山間にあるキャンプ場はみな川沿いにあり、キャンプ場より上流には民家がないことから川は澄んでいます。夏は蛍が楽しめ、焚火をみて川のせせらぎを聞きながら過ごすひとりの夜はとても落ち着くことができる。静岡はその点でとてもいいところ」とのこと。最近流行りの「ソロキャンプ」です。また自転車での遠出も楽しみで、週末は三保松原まで行くこともあるそうです。

家のなかにはステレオセットにレコード、CD、さらにはカメラと、Sさん曰く「これだけ沢山の趣味の道具を置くスペースは建て替えてしまった練馬の家にはない」と懸念されるくらいです。マルチドライブの3wayスピーカーは8台のアンプで駆動していて、家の周囲は空き地や空き家になっていることから「夜中に大音響でレコードを楽しんでも全く問題にならない」とイキイキと説明してくださいました。5年生の時に秋葉原でキットを買ってアンプ作って以来の趣味で、「およそ60年間で1000万円近くはつぎ込んできた」とのことで、「こちらの方が投資よりコストかかっているのでは」と私が指摘したくらいです。オンライン・インタビューの途中から、趣味のステレオを見せていただき、ひとつずつ説明を受けたのですが、私は無粋にも知識不足で説明に十分ついていけませんでした(お恥ずかしい)。

さらに写真を撮るのも趣味で、現在常用しているカメラは1台ですが、他にも10台近いカメラがあり、レンズは大判や中判カメラ用のレンズなどを含めると数十本になるとのこと。それらのレンズは、大体はアタッチメントを用いていつでも使用できるようにはしてあるそうですが、現在は純正のレンズを主に使っています。こちらも話が始まってすぐに最近撮ったばかりの写真を見せていただきながら、素晴らしい撮影スポットの話をうかがいました。アイコンに使った写真もSさんが撮影された海越しに眺める富士山です。素晴らしいです。

インタビューを終えて

インタビューの前半で私は、「Sさんはこの先、きっと練馬に戻ることになるだろうな」と、実利面または資金面での決断を優先する姿を想像していました。しかしインタビューを進め、趣味の話をうかがい始めた途端に、「これは帰りたくないだろうな」と思うようになりました。私の文章力ではSさんの今の生活に対する執着心のようなものが十分に伝わらないかもしれませんが、「これが退職後の生活の楽しさなのではないか」と端々で感じることができました。「これらの荷物を東京に持って行っても置くところがない」というのは単に場所の確保の問題ではなく、使えなくなるという寂しさのようなものでもあるように感じました。

最後にSさんは、「今は70歳になっても6対4でここに住み続けたいと思っています。愛着のある荷物を処分するのは嫌だから」とおっしゃいました。実利と趣味のせめぎ合いです。